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ヒップホップダンスwiki(歴史[2000年]) フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

2000年以降、名古屋のM.O.S.A.D.、北海道のTHA BLUE HERB、九州の餓鬼レンジャーなど地方勢のリリースが相次いだ。それぞれが地元愛にあふれた内容となっており、日本語ラップは東京だけのものではないということをアピールした。ダンス番組は「少年チャンプル」、「スーパーチャンプル」などがある。「ダンス甲子園」も2006年に復活した。また、「流派-R」や「Suger Hill Street」など、ヒップホップに焦点を当てた番組も多く出ている。

2000年
MCが総勢8名のグループNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが1stアルバムをリリース。各自のMCの力量もさることながらマイクリレーによって力を発揮する人材が集合し、グループ名を冠した曲「NITRO MICROPHONE UNDERGROUND」は日本のヒップホップ史に残る作品となった。このアルバムを契機に、NITRO人気に火がつき、ソロMCでも次々にメジャーデビューを果たした。彼らはかつてさんピンCAMPでMUROのステージの後ろのいたような、「日本語でいかにラップをするか」と苦心していた世代を見て育ったいわば第二世代であり、この頃から次世代のMC達が着々と頭角を示し出す。
DS455が1stアルバム「BAYSIDE RIDAZ」をリリース。同年にメンバーのDJ PMXが手掛けたOZROSAURUSの「AREA AREA」がヒットしたこともあり、それまでの日本のヒップホップにはあまりみられなかったGファンクやウエスト・コースト・スタイルと呼ばれるような音楽性が注目を受ける。
2001年
KICK THE CAN CREW、RIP SLYMEがメジャーデビューを果たし、日本のメジャーシーンにおけるヒップホップの浸透に更に大きく貢献することになる。
横浜のOZROSAURUSが1stアルバム『ROLLIN'045』を発表。高いスキルを示したこのアルバムは、ウェッサイなど問わず日本語ラップ史において重要なアルバムの一つとして扱われている。ロングセラーを記録し、売り上げ枚数8万枚を突破した。
2002年
キングギドラが6年ぶりに再始動を宣言。ハードコアラップグループでは異例なヒット(復活後、アルバム「最終兵器」以外すべてトップテンチャート入り)を記録し、社会現象を巻き起こす。特にアルバム収録曲である「公開処刑 feat. BOY-KEN」におけるZEEBRAの降谷建志に対するあからさまなディス(貶し)、K DUB SHINEのRIP SLYME、KICK THE CAN CREWに対する暗喩なディスは話題を呼び、ネット上などで大きな盛り上がりを見せた。この曲は日本のヒップホップ・シーンにおいて最も有名なディス・ソングの一つとして数えられている。
Def Jam Japanと契約を交わしたS-WORDの『KROSS OVA -斬-』も高い売り上げを見せた。同レーベルのDABOの『D.A.B.O.』もヒットを記録。DABOやS-WORDら、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDと深いかかわりのあるラップ・グループTHINK TANKがファースト・フル・アルバム『BLACK SMOKER』を発表。ダブやレゲエを散りこんだ音楽性、K-BOMBらの独特のヴォーカル・ワークにより、その異能集団ぶりを示した。
DJ KENTAROがアジア人初のDMC世界チャンピオンに輝いた。
2003年
EAST ENDが再始動。アルバム『Beginning of the Endless』はFG全参加によるマスターピースとなった(その他CRAZY-A、童子-Tらが参加)。
K DUB SHINEのATOMIC BOMB PRODUCTIONSが本格的に活動。
この頃、アンダーグラウンドが活発化。雑誌「blast」のコーナー「HOMEBREWER'S」から東京のみならず、大阪、福岡などの各地方の多くの優れたアーティストが紹介された。特に、後にKREVA、RHYMESTERとも共演する韻踏合組合、また妄走族やMSCがアルバムをリリースしている。
テレビ東京系バスケアニメDEAR BOYSエンディングテーマ"Ballerの章号"でCHRISがデビュー
2004年
伝説的ラップグループ「雷」が「KAMINARI-KAZOKU.」として、結成後約10年にしてついにアルバムを制作。ミニ・アルバム(「太巻きシングル」)『大災害』、続いて、メジャー1stアルバム『330 〜more answer no question』をリリース。
同年夏、「黒い集団」とも呼ばれる8MCのビッグユニットNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが再始動を果たし、キングギドラ同様、異例なヒットを叩き出す。
加藤ミリヤのシングル、「Never let go」の同メインの曲となる「夜空」のリミックスではBUDDHA BRANDの三人が参加した。
K DUB SHINEの3rdアルバム『理由』収録曲「来たぜ」の歌詞をきっかけにインターネット上を通してDEV LARGEとのビーフ(罵倒)騒動が起きた。また、それぞれ配布された3曲(DEV LARGEの「ULTIMATE LOVE SONG」、K DUB SHINEの「1 THREE SOME」、DEV LARGEのアンサー「前略ケイダブ様」)は後にミックスCDなどでバージョン等を変えて収録されている。
KICK THE CAN CREWが活動休止。その後は各々ソロ活動に入る。
妄走族も活動を休止し各々ソロ活動に入る。
M.O.S.A.D.を率い、名古屋の代表格であったMC、Tokona-Xが26歳で逝去。死因に関しては様々な憶測が飛んだ。
アンダーグラウンド・ヒップホップムーブメントの一角を担う降神がアルバムをリリース。新人で自主でのCDが異例の1000枚を売り上げ、評判となる。特にメンバーの志人はTHA BLUE HERBのILL-BOSSTINO、Shing02と並ぶ天才MCとして注目された。
DJ AKAKABEがDMC世界チャンピオンとなる。
2005年
DEV LARGEがソロで"D.L"名義として本格的に活動を開始。
ZEEBRA、SOSCなどで知られるレーベルFUTURE SHOCKが、都合により停止。
童子-Tが、ATOMIC BOMB PRODUCTIONSから自立という形で円満退社。New York City BreakersのENGIN#9が日本に帰国。
この頃より日本のシーンはメインストリームとアンダーグランドシーンが確実に分けられはじめ、転換期にさしかかっている。以前、アンダーなシーンで活躍していた人物達がメインストリームへと乗り換えていく動きが活発化し(RIP SLYMEやZEEBRAなど)、それに並行してアンダーグランドシーンでのムーブメントも活発化をはじめた。実力あるアーティストが増加しシーン全体を底上げするなど、新たな動きが見られ始めた年でもある。MSC、Temple ats(降神)、Da.Me.Records、SEEDA擁するSCARS勢、black smoker Records、関西では韻踏合組合、R-RATED RECORDSなどが、今も引き続きその一端を形成している。
B BOY PARK 2002のMCバトルで優勝したMSCの漢a.k.a.GAMIの主催で、全国規模で行われたフリースタイル・バトル大会ULTIMATE MC BATTLEが開始。優勝はカルデラビスタ。後に大会の模様を収めたDVDが発売される。この大会をきっかけにアンダーグラウンドレベルでフリースタイルをするMCが急増する程の影響力を見せた。
2006年
KREVAのセカンドアルバム、『愛・自分博』(2006年2月1日発売)がヒップホップソロアーティストとしては初めてのオリコンウィークリーチャート1位を記録。
KREVAに続き、SEAMOのセカンドアルバム『Live Goes On』(2006年9月20日発売)もオリコンウィークリーチャート1位を記録した。SEAMOはこの年のNHK紅白歌合戦出場を果たしている。
SOUL'd OUTの初のシングルベスト、『Single Collection』が、ウィーク、デイリー共にオリコン初登場2位という快挙をあげる。
DEV LARGEが待望のラップでのソロアルバム『THE ALBUM (ADMONITIONS)』を発表。シーンにその存在感を示す。
SEEDA、BESなど、USヒップホップを咀嚼した作品を作り出したSCARS勢が躍進。Pヴァインなどから次々にアルバムをリリースし、大きなプロップスを得た。CONCRETE GREENシリーズというミックスCDという形式での音源発表も話題となる。
2007年
RHYMESTERのベストアルバム、『メイドインジャパン?THE BEST OF RHYMESTER?』(2007年1月31日発売)がオリコンウィークリーチャート6位を記録。続いて2月に客演コレクション『ベストバウト ?16 ROUNDS FEATURING RHYMESTER?』を発売、3月に集大成的ライブKING OF STAGE VOL.7 を日本武道館で敢行、大成功のうちに幕を閉じた。実に結成から18年間を費やした到達で、これまでに客演をしてきたアーティスト達が各年代ごとにバランスよく出演、キングギドラの再結成客演など既存のHIP HOPファンを大いに沸かせると共に、ゴスペラーズ、横山剣、SUPER BUTTER DOG、Scoobie Do、Wack Wack Rhythm Band等、他フィールドの有名アーティストを招聘した。
国内唯一のHIP HOP専門誌である「blast」が廃刊。メジャーにおいてヒップホップアーティストの作品の売り上げが不振であり、日本のヒップホップシーンへの逆風が顕著な形になった。
THA BLUE HERBが3rd アルバムを発表。また、アルバム直前にリリースしたシングルはオリコンインディーズシングルチャート1位を獲得。
D.O、bay4k、D-Ask、SHIZOOらが練マザファッカーとして、TBSのバラエティー番組『リンカーン』内のコーナー「世界ウルリン滞在記」に出演し、中川家・剛にラップを指南した。D.Oの語尾に「メーン」をつける独特のしゃべり方が話題を呼んだ。
SEEDAがメジャー初となるアルバム「街風」がオリコンアルバムチャート19位を記録。
2008年
SD JUNKSTAのリーダー、NORIKIYOがメジャーデビューアルバム「OUTLET BLUES」を発表。実話ナックルズでも特集が組まれ、シーンの内外から注目が集まった。同じくSD JUNKSTAのBRON-Kのアルバムもじわじわと評価を獲得し、SD JUNKSTAは日本を代表するクルーの一つとなった。
ZEEBRAが音楽活動20周年を記念し、ベストアルバムを発表。武道館での20周年記念ライブも成功させる。このライブには多くのゲストが参加。特に、DEV LARGEは参加しなかったもののさんぴんCAMPで参加しなかったTWIGYも含めて雷家族のメンバーがほぼ揃っての「証言」が披露された。この様子は後に発売されたDVDに収録している。また同時に自叙伝も発売。「降谷建志に対して今は怒りはない」と心境を告白した。
MIC JACK PRODUCTIONのリーダー、B.I.G. JOEが2009年の服役終了に先がけて2ndアルバムを発表。2008年を代表するアルバムとなった。
2009年
練マザファッカーのメンバーでCD販売店・BOOT STREETのアルバイトの男が、同店の店舗にて大麻を売ったとされる大麻譲渡事件に関連し、D.Oが実質的に経営する会社・D.Officeに家宅捜索が入り、練マザファッカーのメンバー・PIT GObが大相撲力士・若麒麟真一と共に大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕され、後にD.Oも麻薬取締法(コカイン所持・使用)違反容疑で逮捕された。この事件は、大相撲力士が逮捕されたこともありテレビなどのメディアで大きく取り上げられ、D.OやPIT GObも写真付きで報道された。彼らが大麻の使用や麻薬の売買などの犯罪行為を歌う、所謂ギャングスタ・ラッパーだった事もあり、メディアからのバッシングを受けた。
SEEDAとGEEKのMC、OKIがTERIYAKI BOYZへのディスソングを発表。その後TERIYAKI BOYZに属するVERBALが自身のポッドキャスト番組にSEEDAを招き、話し合いが行われた。一連の事件をSEEDAが発表した曲名からTERIYAKI BEEFと呼ばれる。
MSCのMCであるGUNNIESがSEEDAに対するディスソングを発表。これに対しSEEDAもブログでアンサーソングを発表した。Amebreakはこれを『一連のディス曲に関する是非はともかく、日本語ラップに関するビーフがここまでスピーディに展開するようになったのは特筆すべき事実』とした。
Da.Me.Recordsに属していた、COMA-CHI、TARO SOUL、KEN THE 390がメジャーデビューする。KEN THE 390は青山テルマとシングルを発表しミュージックステーションに出演。


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